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声が大きい人は育ちが悪いの?その判断が雑だと思う理由と本当の心理

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電車の中で大声で話している人を見て、何を思うか

静かな車内で、ひとりだけ大きな声で電話しているおじさんがいる。うわあ、と思う。育ちが出てるな、と思う人もいる。その感想、わからなくもない。でも少し待ってほしい。

声が大きいことと育ちの悪さを直結させる判断、けっこう雑だと思う。言い切れる話じゃない。育ちという言葉があまりに都合よく使われているケースで、声の大きさが生まれた背景を知ると、単純な話じゃなくなってくる。

声の大きさが決まる要因は、家庭環境だけじゃない

人の声の大きさには生まれ持った身体的要素もあるが、それ以上に大きく影響するのが育った環境。家族の中で常に大きな声が飛び交っていた家庭では、その環境に適応するために自然と大きな声を出すようになる。また、親が感情的に怒鳴るような家庭では、それを模倣して大声で話すことが子どもにとって当たり前になる。

環境の話と身体的な話が両方ある。腹筋が発達している人は地声が大きい。演劇や体育会系の部活で発声を鍛えた人も大きくなる。声帯の構造や肺活量によっても変わる。育ちという変数のほかに、肉体という変数がある。

自分では大きいと気づいていない人が実は多い

声が大きい人には地声が大きいから仕方がないという人もいるが、無意識のうちに大きな声を出すことを選んでいる人もいる。男性の方にありがちなのが自分が大きい声を出しているという自覚がないケースで、女性でも演劇をやっていたり体育会系の部活で腹筋が発達している人はボリュームが大きいと気づいていないケースが多い。

これ、実際に周りにいる。指摘されて初めて、え、そんなに大きかった?という顔をする人。悪意もなく、失礼な気持ちもない。ただ普通に話しているつもりが、周りには大音量として届いている。この人を育ちが悪いと断じるのは、ちょっと違う。

大きな声で育った環境は、育ちが悪いとはまた別の話

声が大きい人の多くは家庭内で自己主張しないと存在感を認められない環境で育っている。家族内で競争が激しい場合、声の大きさが自分の意見を聞いてもらうための手段になりやすい。昔ながらの兄弟が多い家庭では、自己主張するために声を張り上げることが習慣になりやすく、これが成長とともに普通の声の大きさとして定着する。

兄弟が多い家庭、農家や漁師の家庭、広い家で育った人、職人の家で怒声が飛び交う環境で育った人。それぞれ声の基準値が違う。そういう家庭が育ちが悪いかというと、そうじゃない。大声で話す文化の中で育ってきただけ。

育ちが悪いと感じるのは、声の大きさそのものではなく、場の読めなさへの反応

正確に言うと、声が大きいことへの不快感の本質は、声量ではなくTPOの問題だと思う。静かにするべき場所で大声を出す、という行為への違和感が、育ちという言葉で括られている。

映画館で大声で話す。葬儀で笑いながら話す。会議中に電話する。これは育ちとか気遣いの問題で、声が大きいこととは分けて考えるべき話。でも全部まとめて、声が大きい人は育ちが悪い、という認識になりがち。声とマナーは別の変数なのに、一緒くたにされている。

声が大きい人の実際の心理パターン

同じ大声でも、背景にある心理が全然違うことがある。一本化して語れない。

聞いてほしい、存在を認めてほしいという欲求から来るもの

声が大きい人は自己主張が激しい傾向にある。自分の意見に自信があり、他人の意見を押しのけてでも通したいと考えて声が大きくなる場合がある。会議や意見交換の場では声が大きい人の意見のほうが通りやすいといわれている。

声を大きくすることで、場を支配しようとするパターン。これは無意識の場合もある。幼少期に大声を出さないと聞いてもらえなかった体験が、大人になっても残っている。

テンションが上がったときに音量管理ができなくなるタイプ

テンションが高まると、つい声が大きくなってしまう人もいる。このタイプは自分の気持ちに正直で、楽しいことやワクワクすることがあると気持ちの高まりが声の大きさとなって表れる。人と一緒に盛り上がるのが好きで自分の気持ちを素直に表現する裏表のないタイプの人。

純粋に楽しいから声が大きくなる人と、存在を主張するために大きくなる人では、全然違う。でも外から見ると同じ大声に聞こえる。外から見ただけで育ちを判断するのが雑になる理由がここにもある。

声が大きい人と働いたり、一緒にいるときの話

声が大きい人が近くにいて、じわじわ疲れる経験がある人は多い。その疲れは本物で、否定しない。でもその人に悪意があるかどうかは別問題。

静かにしてほしいときの伝え方で関係が変わる

声が大きいことを指摘するとき、育ちという言葉を使うと一瞬で関係が壊れる可能性がある。相手の人格攻撃になるから。声のボリュームを下げてほしいという要望と、育ちへの批判は、全く別の話として扱ったほうがいい。

もう少し声を落としてもらえると聞き取りやすい、という伝え方は相手も受け取りやすい。あなたは育ちが悪いから声がでかい、という言い方は相手の防衛反応を生む。何を伝えたいかより、どう伝えるかで結果が変わる。

育ちという言葉の使われ方が会話で面白い理由

育ちが悪い、という表現を誰かに言われたとき、あるいは自分が使ったとき、その定義がけっこう曖昧だということに気づく。何が育ちが悪いのか、誰が決めるのか。

育ちの基準は人によって全然違うという本題

ある人にとっての育ちが悪いは、声が大きいこと。別の人にとっては、お礼が言えないこと。また別の人にとっては、食事中にスマホを見ること。この多様さがそのまま会話になる。

あなたが育ちって感じるのってどういうとき?という問いを誰かに投げると、その人の価値観が一気に出てくる。育ちというふわっとした言葉が、実はその人のマナー観や家庭環境の話に直結している。気づいたら相手の子ども時代の話になっていた、という展開が起きやすい。

声が大きいことへの自覚がない人を知っているという体験談

職場にいた声が大きい先輩の話。会議中も廊下でも一定音量で、最初はうるさいと思っていた。でもある日、本人に自覚があるか聞いたら、え、大きいですか?という反応が返ってきた。まったく気づいていなかった。悪意なし、気遣いなし、ただ地声のボリューム設定がそのサイズだっただけ。

それを知ってから、見え方が変わった。うるさいではなく、気づいていないんだ、に変わった。感じ方が変わると、対処の仕方も変わる。知識って、そういうことだと思う。

育ちが悪いという断定より、なぜ大きいのかという問いのほうが、人を理解することに向いている。その問いを会話の中で持ち出すと、単純なストレス発散ではなく、人間観察の話になる。

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この記事を書いた人

会話のタネ編集部
日常のちょっと話したい、でも何を話せばを解決するために生まれた編集チーム。
人間観察が好きで、感情をそのままぶつけるのではなく、エンタメとして包んで伝える時代のコミュニケーション雑談のコツや話題の見つけ方を研究しています。
読んだその日から使える軽やかな会話術をお届けします。

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